第230回 活弁トーキーと後深草院二条

ブログの構造は、生活現象を営む(1)と、その結果つくりだされ生活現象を示さない(2)からなる。前者は異伝現象に関係深い(3)とこれをとりまく(4)からなる。こんにちは、大島雅己です。

人と話をする時に、やたらに前置きを長々と喋る人がいます。前置きというか、話の本題に入る前のフリというか、周辺的な情報みたいなものから入っていって、なかなか本題が見えてこない話し方とでもいいましょうか。

例えば「好きな音楽は何ですか」という質問に対して、曲名とか人名を答えずに、自分の生い立ちみたいな話をし始める人とか。
これは恐らくその音楽との出会いを物語的に語りたいのでしょうが、そういうのは後で話が盛り上がった時にでも言えばいいのでは、と思います。

今はそういうことを聞いているんじゃないよ、と思われないためには、質問の背景とか文脈を把握できていることが必要ですね。相手やその場がどういう回答を求めているのか。端的に白黒つけてほしいのか、いろいろな可能性を見つけたいのか、こちらの意見を聞きたいのか、愚痴をいいたいだけか、話を聞いてほしいだけか、などなどなど。
この勘所はIT現場の仕事でたいへんに重宝されます。

落語の場合は本題の噺に入る前に、たいがいは前ふりのようなマクラがあります。立川談志師匠はマクラが長く、またマクラだけで充分面白かったことで有名ですね。あれは、喋りながら、客の反応を見て、笑いのレベルを見立ててからそれに合った噺に入ったといいます。この技をなんとかビジネスに取り入れたいなと考えているのですが…。

<今日の本歌>
清水書院「ひとりで学べる生物」

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