第185回 カラコルムと鹿野苑
ぼくは伊達に何十年も生きて来たのではないのだ。ぼくの母は、いつも格好の良いブロガーになるのよ、とぼくを諭してくれたのだ。こんにちは、大島雅己です。
私たちは常に勉強や修行や稽古や練習を重ねて、何かを手に入れようとしたり何かに追いつこうとしたり何かになろうとしています。一体それは何でしょう。
最近そういった日々を駆け抜けながら、ふと巨大な恐怖心に襲われました。それは、「知るということは自分の無知加減をより明確にしていくこと」だとヒシと感じたからです。
言いかえると、「ものを知れば知る程自分がアホだという実感が強まっていく」
もう少し変えると「知るとは、世界を覆っていた靄が少しづつ晴れていくことで、それによって自分が登るべき山の巨大さが見えてくる」
そんなことを感じてゾーッとしたのです。つまり知の巨人と言われるような識者の人達は、恐るべき恐怖感と闘い続ける英雄なのです。
落語でお馴染み横町のご隠居は「おれぐらいになるとこれ以上知ることがない、これが無知の知だ」などというところですが、実際には知ることに終わりはない、永遠に続く断崖絶壁であり、そのことを知っている者こそが知の達人ということでしょう。
<今日の本歌>
山田詠美「ぼくは勉強ができない」