第186回 デカダンスと下掛宝生流
魚が捕れたらびくのことは忘れてしまう。兎が捕まったら罠のことは忘れてしまう。ということで、意味が通じたらブログのことは忘れてしまってよい。こんにちは、大島雅己です。
技術や知識といったものは、果たしてどれぐらい必要なのでしょうか。どれぐらい手に入れたら充分と言えるのでしょうか。
恐らく、これで充分だという目安などないのでしょう。どこまでいっても無限に広がる世界の一端が見えるだけなのでしょう。
とはいえ、これぐらいわかっていれば人に教えることができる、とか、仕事としてやっていける、とか、一人前と見なされる、という基準はありそうです。であるならば、まずは自分の進もうとしている世界のその基準を目指すべきなのでしょう。そして、そこに達することができたら、さらに次の段階を目指して努力を重ねていくべきなのでしょう。
ただし気をつけたいのは「技術」「知識」ばかりを追い求めるだけではいけないということです。それらは、自分のビジネスや教養にとって欠かせないものではありますが、本質なわけではなく、背景であるからです。自分は誰に対して何を与える者なのか、それが本質だと思うのです。
音楽の知識や技術が世界一だという人が、常にチャートのトップを取るわけではないでしょうし、全ての人々に支持されるとは限らない。求めるものは人によって異なるからです。
<今日の本歌>
荘子「荘子」金谷治訳注