第2回 立川志の輔とシステム構造

いったん書き始めれば迷わず書きつづけるにちがいないと信じながらこれまでためらってきたことを、ついにブログとして書きはじめました。こんにちは、大島雅己です。

毎日のように落語を聴いています。ほとんどはiPodやCDで音声だけ楽しんでいますが、少し時間が取れればDVDやYoutubeで見ますし、もっと時間がある時は実際に見に行きます。

落語を聴いていると、これほど人間というものをうまく言い得ているものはないなあ、とつくづく思います。言い得ている、というよりも、そのまんまを素直に捉えている、とでもいいましょうか。なるほど立川談志師匠が言うように、落語は人間の業を肯定する唯一の芸能であるなあ、と。

世間からは落語ブームなどという言葉が聞こえてきたりもしますが、実際どうなんでしょうか。少なくともブームと言われている限りはサブカルチャーの域を出ないでしょうから、まだまだ人々の文化に根付いているというレベルには程遠いだろうと思っています。本当に落語の文化が世間に根付けば、日々起こっている陰惨な事件やくだらない争いなど半減するはずです。

落語の魅力はいろいろありますが、すごいなと思うのは、あらゆるものが排除されて排除されて排除され尽して、これ以上ないという、究極にシンプルな状態になっていることです。人間一人、座布団、扇子と手ぬぐい、これだけで世界の森羅万象を表現する凄さ。聴く側の観客が自分の頭の中に思い思いの情景を作り出すという、噺し手側から見れば最高に生産性の高い構造(立川志の輔師匠が言うには「客からお金を取って客に労働させるというすごい芸能」)です。

さて、ところで、ITの仕事をしていると、構造とか生産性ということに日々ぶつかります。システムの構造をどう考えるか。いかに生産性よく開発を進めるか。見栄えの良さとか目先の便利さばかりを気にしていると、ついつい構造や生産性が忘れられます。そうするとあとあとになって大変な目に合うことになりますが、このあたりの詳細はまた後日書くことにします。今回の趣旨は、「シンプルな構造」という視点を持つこと。私は何はともあれ常にこのことを心がけています。

<今日の本歌>
大江健三郎「同時代ゲーム」

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