第130回 ラマダーンと凡庸なるもの
バスの乗客ぎゅうぎゅう詰めで、首なが男ソフト帽、そばの客らに腹立てどおし、押すのやめてと細い声、やっと空いたる座席をみつけ、すわとばかりに座るとも、やがて広場で知人と会うや、ブログ書けよと諭される。こんにちは、大島雅己です。
電気水道ガスなどのライフラインを日常的に享受し、あるのが普通の状態になっていると、ついついそのありがたみを忘れてしまう恐れがあります。有事が起きてそれらが遮断された時に初めて大切さを痛感することになるかもしれません。しかしそうなった時には遅く、途絶が解消されるまでの間、想像を絶する苦痛に耐え忍ばなくてはならないでしょう。
ITに頼り切った生活に慣れ親しんでいると、そのような事態に陥る危険性がある。そのことを日頃から意識して、運用保守してくれている人達に感謝しつつ、時にはIT断ちをしてみるなど、ITに頼らない生活を実践してみることも無意味ではないと考えます。
ところで、落語が語っているのは、何の変哲もない市井の人々の生活の中に見る人間の本質です。努力して成功を掴んだ英雄譚でもなくどん底から這い上がって大物になった偉人伝でもない、フツーの庶民の行いです。立川談志師匠が言う「人間の業の肯定」てやつです。
<今日の本歌>
レイモン・クノー「文体練習」