第1586回 グロンギ語と文字列リテラル

冷や酒の水面に映える我が瞳。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

その昔、かな文字が成立したばかりのころ、濁音は半濁音は存在しなかったとききました。ということは、さらさらもざらざらも同じであり、するするもずるずるも同質であり、とろとろもどろどろも同様であり、きらきらもぎらぎらも同質であり、かりかりもがりがりも等しいものであったのでしょうか。

どちらに該当するかは文脈から判断しなければならず、それだけ読解力が求められたものと推察されます。逆に細かく読み方が分けられている現在は決まった通りに読めばよいのですから、読解力は衰えていくのでしょう。

そういえば落語の「道灌」では、兼明親王の「七重八重花は咲けども……」の歌を「ななへやへはなはさけとも……」と書き、「濁りは付けてないが、付けなきゃならないところには濁りを付けな」と教えています。どこに区切りがあるのか、どこに濁りがあるのか、常に気をつけていなければ物事は理解できないということです。

(A面へ)

<今日の一唱>
古典落語『道灌』

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