第1404回 吉吉利利とオルティンドー
愛猫と並んで冬の朝日浴び。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
音を楽しむから音楽なのだ、という尤もらしい言いかたは、実際には順序が逆ですね。「音」の字源は「言」と同じで、もともと神への祈りに対する返答を表すもので、口から出る声を意味するといいます。そして「楽」は柄のついた手鈴で、つまり神を祭る時の楽器であります。だから音楽とは人や神の声、楽器を鳴らす音のことで、それによって楽しみが生じるということです。
音楽が楽しいものであることは疑いありませんが、音を楽しむから音楽なのではなく、音楽だから楽しいのであり、つまり理屈でたたもうとしない方がよい、と言いたいのです。
ちなみに音楽という言葉は福沢諭吉先生あたりがミュージックを翻訳したものかと思っていたらそうではなく、そもそも『呂氏春秋』に書かれているそうで、つまり中国から来ているのですね。
そういえば米朝師匠のマクラでおなじみの話で、魚屋が「司」という字を説明するのに「同じという字を2枚におろした骨つきの方」と言うくだりがありますが、理屈を言うならこのぐらいのセンスがほしいものです。
<今日の一唱>
桂米朝『焼き塩』