第1333回 ウナギ文と砂山パラドックス
「とは」は千早の本名だった(落語『千早振る』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
言葉は最後の最後まで聞かないと意味を大きく取り違える恐れがあります。特に日本語の場合は最後の最後の助詞一つで肯定文か否定文かが決まったりするので、喋る場合は決して語尾を飲んだり曖昧にしてはならないし、聞く場合は途中で早合点して集中を切らしてしまわないように注意しなければならないと意識しています。逆にそうした言葉の性質を逆手にとって不明瞭なコメントを重ねるのは避けたいものです。
「それに関しては、そうではあるけれど、にもかかわらず、方向性として、同様の意見を支持したい、と思う、わけではない、かもしれない、とは言えず、そんな感じで、いかがなものかと、ではないかと。であろうと。ですね」こんなことばかり言っているといずれ思考までが乱れてしまうでしょう。
<今日の一唱>
落語『千早振る』