第353回 バルバラと概念記法
黒天鵞絨のカーテンはそのときわずかにそよいで、小さな痙攣めいた動きがすばやく走りぬけると、やおら身を翻すようにゆるく波を打って、少しずつ左右へ開き始めた。それまであてどなく漂っていた仄白い照明はみるまに強く絞られてゆき、舞台の上にくっきりした円光を作ると、その白い輪の中にいい年のブロガーがひとり、妖精めいて浮かびあがった。こんにちは、大島雅己です。
サテ何か困ったことや問題や障壁に出くわした時、どのように切り抜けるべきか。解決策をどう考えればよいか。どうすれば回答にたどり着けるのか。
そういう時のために問題解決技法というものがあるのでしょうね。たとえば一片の事象から全貌を見抜いたり、全体的な傾向をとらえて個々の事象を推察するような場合は、いわずと知れた帰納的推論、演繹的推論の技法が使われますね。
ここで注目したいのがアブダクションというやつです。元をたどればアリストテレス大先生に行き着くのでしょうが、提唱者としてはチャールズ・パースですね。何か新しいことを考え出すためには、すでに知っていることから予測するしかない。だからこの「すでに知っていること」を自分の中に蓄積し、いつでも使えるようにセットしておくことが大事であり、これこそ、帰納でも演繹でも到達できない、新たなアイディアを生み出す最強の方法だと思うのです。
芸術作品をみたりきいたりする時にも、何らかのアブダクションが働いているのでしょうか? また芸術家は創作物の中に、みる者きく者のアブダクションを引き起こす要素を込めるべきなのでしょうか? アブダクションについては引き続き考察していきます。
<今日の本歌>
中井英夫『虚無への供物』