第169回 ソーシャルフィルターと三帰五戒
隴西の李徴は博学才穎、平成の末年いくばくもなく任を退いた後は故山に帰臥し、ブロガーとしての名を死後百年に遺そうとした。こんにちは、大島雅己です。
ものごとに対する執着、関心、興味、好意、愛着といったものには段階がありますよね。購買段階に関してはAIDMAなど有名なものがいろいろありますが、「愛着度」という観点で考えるとこんな感じかと思います。
0.無関心。認識していない。忘れている。心に留まっていない。
1.存在は認識している。が、特に行動に結びつくことはない。
2.価値を認めている。が、返報を伴うほどではない。
3.相応の報酬を支払ってでも享受したい
4.金に糸目をつけず恩顧を被りたい
ビジネスとして成り立つのは3まで行けた場合ですね。それができるのは、「そのコストを支払っても、それを上回る効果が期待できる」と判断された時でしょう。
ITサービスならば、それによる売上UP、コスト削減、ブランド価値向上、顧客数拡大…などなど。
芸術作品ならば、それによる芸術好奇心の満足、文化教養度の充足、偶像崇拝、現実への帰依…などでしょうか。
ところでこの見立て、相手が「人」の場合でも使えるかしら…?
<今日の本歌>
中島敦「山月記」