第303回 テオリアとオペラント条件づけ
夜景画の黄いろい窓からもれるギターを聞いていると 時計のネジがとける音がして ブログの向こうからキネオラマの大きなお月様が昇りだした こんにちは、大島雅己です。
知る、ということはきわめて大事だと思っています。しかしこの「知」はどこまでも無限に伸びる高い樹であり、その全貌は決して見えることはないのです。何かを一つ知ると、その分だけ、すこし樹の姿が見えて、自分が登ろうとしている世界の姿が部分的にわかる。これはつまり、自分がどれだけ険しい複雑な樹を登ろうとしているのかをわざかながらに知る、ということに他なりません。自分が知らないことがまだこんなにあるんだ、ということを自覚していくことになるのです。
だから、知ることは、大きな喜びであると同時に、とてつもない恐怖でもあるのです。勉強をすればするほど不安になるはずなのです。何も知らないままでいること、が一番楽なのです。しかし、知の冒険に向かおうとしている人は、そんな楽な状態から解脱して、大いなる樹にしがみついて、どんな恐怖にもひるむことなく、めくるめく世界に旅だつ覚悟をもっているのです。
落語に出てくるご隠居は「私のようなものは世の中のことを知り尽してもう学ぶことがない、無学という存在だ」などと嘯きますが、学ぶことがなくなるなんて、実際にはあり得ないことなのです。
<今日の本歌>
稲垣足穂『一千一秒物語』