第176回 エモーショナル・レスキューと百学連環

リミットちゃん、あなたが通る時、さみしいブログに花が咲く。あなたが走る時、冷たいブログも歌い出す。あなたが微笑む時、みんな夢見るブロガーになる。こんにちは、大島雅己です。

昨日の続きです。
論理的とは何か。英語だとlogicalか。ロジック。ロゴス。言語、言葉、概念。語ることのできるもの。そんな感じでしょうか。人に何かを説明した時、「論理的でわかりやすいね」とか「もうちょっとロジカルに言ってもらわないとわからない」などと言われます。リロセイゼンとしていることが論理的ということですかね。

そうすると、逆は何か。
言葉で説明されないもの。言葉で伝えにくいもの。やはり「感覚的」「感情的」「イメージ」「観念的」「抽象的」「想像的」「妄想的」のようなことでしょうか。左脳と右脳の話みたいになっていますかね。

音楽の場合、楽曲そのものを言葉で説明するのは難しいですが、楽譜というものを介して情報を伝えることはできる。しかしその楽譜も、言葉になっているわけではない。記号ですね。それは他人に意味を伝えることが可能な記号で、送信者と受信者は全く同一の内容を共有することができる。となると、これは言葉と同じと言ってよいのか。

論理と感覚の話から、言葉と記号の話に脱線しかかっている。いったん本日の趣旨としては、「論理も感覚は両方必要であり、使い分け方を意識しなければいけない」ということなのですが、ではその使い分け方とは何か。そして言葉と記号の話はどうなるのか。また続きます。

<今日の本歌>
永島慎二「ミラクル少女リミットちゃん」

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