第360回 キーウィーリザティオーと冗長化設計

東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/ブログたはむる/頬につたふ/なみだのごはず/一握の文を示しし人を忘れず/こんにちは、大島雅己です。

便利な道具に頼り続けていると、それ以前のやり方を忘れてしまいがちです。楽な方法が身に着くと、昔の不便な生活には戻れなくなるということでしょうかね。新しいものに適応し、古いものを忘れてゆく。一見よいことのようですが、漢字の書き方もリンゴの剥き方も半田ゴテの当て方も忘れていくのは悲しいものです。ITによって仕事や生活は便利て快適な方向に進んでいるかもしれませんが、それが同時に、簡易で安易で怠惰な方向にも進んでいるとしたら、そのITは本当によいものなのかどうか、考えるべきかもしれません。時間を短縮すること、手間を省くこと、量をこなすこと、こういった点は確かにITの得意技ですが、それが本当に第一の目的なのか、それを最優先することで何か他の大事なことが犠牲になっていないか、ちょっと気にしてみた方がよいでしょう。
音楽ソフトでみごとに立派な楽譜を作れるようになりましたが、手書きの音符は無残にヘタクソになりました。昔はけっこうきれいに書けたのですがね。

<今日の本歌>
石川啄木『一握の砂』

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