第166回 4つのイドラとカルテジアン劇場

たえずとびはねながら、捕獲の罠をすりぬけていくようなブロガーが、想像力のなかで、どこの世界に帰属することもない、あらゆる領域にとっての境界膜の場所でピョンピョンはねまわるようになっても、ちっとも不思議ではない。こんにちは、大島雅己です。

「思い込み」という言葉を聞くと通常はマイナスの感覚を持ちますが、自分自身のイメージを高めたり前向きな感情を作り出すために有効利用することもできると思います。
イヤなことがあっても「これは吉事の前触れなのだ」と思い込んで次に向かう。自信のない仕事に対峙しても「きっとうまくいく」と思い込んで取り組む。一見苦手タイプの人と会っても「この人はいい人なのだ」と思い込んで接してみる。こういう思考パターンを持つようにしています。その方がきっといい結果につながるはずなのです。

思い込みがダメなのは、いわゆる「だろう運転」に相当するような先入観、偏見、バイアスになっているケースでしょう。
「適当にやっても大丈夫だろう」という無思慮、「あいつが犯人に決まっている」という決めつけ、「どうせ自分には無理だ」という萎縮、「昔からこうと決まっている」という固定観念。こういうものは捨て去るべきでしょう。

思い込みが最高級に強い人物が「粗忽長屋」という落語に出てきます。行き倒れで死んでいる男が知人だと思い込み、その本人を家から呼んできて「これはお前だ」と説き伏せる。言われた当人もだんだんその気になってきて自分が死んだと思い込む。ぶっ飛びすぎた思い込み。この噺を立川談志師匠は「粗忽というレベルでなく、主観が異常に強いことによるもの」と解して「主観長屋」と呼んでいましたが、大好きな一席です。

<今日の本歌>
中沢新一「野ウサギの走り」

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