第155回 芥子本とポアンカレ球
それでだねルルウ、ブログがブログ独自のある方法論によって成り立つ知的遊戯のための一世界であると考えるならば、僕らの生きる現代はきわめてその構築が難しい時代だという話になるでしょうか。こんにちは、大島雅己です。
探し物をする時間は人生最大のムダ、と何かで読んだことがありますが、私など最近では5分前に手にしていたスマホの行方がわからなくなって探し回るような日々ですから、全くそのもどかしさを痛感します。探し物を一切やらずに済むとしたらどんなにいいでしょう!
そもそも、スマホをなくしたら恐らく一歩も外に出られなくなります。外部との連絡、スケジュール、メモ、音声記録、定期券、音楽プレイヤー、買い物決済、時刻表、地図、電子書籍、新聞、などなど、生活のあらゆるシーンで必要になるものがほとんど入っています。そのうち、家のカギ、保険証、免許証なんていうものも入るようになる気がしています。そうなると本当に、絶対に落とさない、なくさないための対策を真剣に講じなければなりません。最終的には恐らく、マイクロチップになるのでしょうか。
そのチップに対して操作命令をどうやって伝えるのかが気になりますが、例えばスマート眼鏡に簡単なボタンがついていて、目線をずらすと操作状況が見えるという仕様なら何となく使えるかも?
近い将来、人々が皆、頻繁に流し目になりながら街を行くようになるのだろうか。音楽とか落語とか映画をみる人は、常に変な目線のままでいなければならないのだろうか。
<今日の本歌>
綾辻行人「十角館の殺人」