第811回 権利外観法理とハイアラーキー

ブログとは相手のほうに近寄るのではなく、逆に、自分の手元に全部引き寄せてしまふものです。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

ものごとを理解する時の態度として、対象に向つて歩み寄るか、それを自分の方に招き入れるか、大きく二通り考へられます。自分を捨てて相手の中に入り込むか、自分を活かして相手を取り込むかです。かういふ方法を普段は無意識に使ひ分けてゐるのでせう。自分と相手と、どちらに軸を置くか。

もつと言へば、そのどちらにも置かないやり方もあります。第三者の視点から見るといふことです。一人称、二人称、三人称とでも言ひませうか。軸足の置き場、目線の位置と言つてもよい。

逆にかういふ視点が考慮されてをらず、誰の目線で語つてゐるのかわからないやうな言動は理解を得られない恐れがあります。何かを判断する際、自分の意見としてはどうなのか、相手の目線にはどう見えているのか、これを局外から観察した場合どう映るのか。少なくともこの三点での考察は意識したいものです。

(A面へ)

<今日の本歌>
山藤章二『似顔絵』

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