第461回 KISSの原則と諸子百家
へんへんへんてこりんなブログをとんとんとんころりんと書き倒す(オホホーオホホホホー)。こんにちは、大島雅己です。
松岡正剛氏の『千夜千冊エディション』が刊行されていますが、いま2冊目の『デザイン知』を同志で共読しようと奮戦しています。巨匠の著作を読みくどくという大胆素敵な試みに目が眩む思いですが、読んでいく中で、そもそもデザインとは何だろうと日々悩むようになってしまいました。
著書の中でも「デザイン」を日本語にするとどうなるかという提題があがっているのですが、昭和半ばの「図案」から始まって、「意匠」「工匠」など、どれもぴったりしていない。
デザインの意味するところは、「模型」「雛型」「型紙」「下絵」「スケッチ」のように作品を導入するガイドであったり、「図面」「図画」「線描」のように描写そのものであったり、「設計」「図面」「計略」のように計画を指示するものでもありますが、さらに意味が拡張して、戦略、策略、詐術でもあるし、肖像であり、構成化であり、スタイルであり、モードであり、編集でもある。
などと読みこんでいきつつ、いつも自分がこだわっている「アート」とはどういう関係なのだろうと、さらなる悩みに発展し、ますます頭を抱えながら今に至ります。
IT現場でもデザインは主役です。ビジネスの戦略、ITの方針、プロジェクトの計画、システムの設計、プログラムの仕様、すべてデザインです。しかし私はそこにアートもあるべきだと考えています。音楽も落語も文学も漫画も映画もアートですが、そこにデザインはどう絡むのか。日本酒のデザインは。猫のアートは 。続きはまた。
<今日の本歌>
ハンナ・バーベラ・プロダクション『大魔王シャザーン』