第484回 高橋メソッドと要素還元主義
そこでまず、兎のフンだとか、根だけ食い残したノボロ菊だとか、玉菜の芯だとか、葵の葉だとかいうものの堆高く積まれた上に腰をおろす。それから、兎どもにはメロンの種をやり、自分はブログを書く。それは、葡萄液のように甘い。こんにちは、大島雅己です。
落語の面白さを人に伝えるのは難しく、理想をいえば自分がそっくり再現してみせるのが一番なのですが、まずそんな力量もないし、聞く方もそこまで時間を取ってくれないでしょう。とすると、話のあらすじを伝えるのが手っ取り早そうですが、落語のあらすじだけを教えてもあまり意味はないし、聞く方もそれだけでは興味を持ってくれないでしょう。
そもそも落語の魅力は題目ではなく演じ手で決まるものなのだから、誰が演じているものかが重要です。「その落語家のその噺」のよさを説明できなければいけないわけです。やはり部分的でもいいから、こんな語り口調で、こんな仕草で、というのを演じてみせたいものです。
芸能や芸術に関して、それをよく知らない人に対して素晴らしさを伝えるのは難しいものですが、考えてみればIT現場でも同じことが言えます。あまりITに馴染みのない人に対してITの重要性や心構えを説くのはまことに骨が折れるもの。
包括的な話をすると「具体性がなくてわかりにくい」と思われ、細かい各論に入ると「細かいことはいいから結局何がどうなるのか」と問われ、一生懸命説明しても「なぜこんなにカネがかかるのか」「今やる必要あるのか」などと言われてすごすご引き下がったりして。この場合は、相手が知りたいポイントを押さえて、相手が理解しやすい題材を使って、それを結びつけた説明ができればいいのですが、なかなかこれが大変なのです。
<今日の本歌>
ルナール『にんじん』岸田国士訳