第430回 帯域幅調とアシュケナジム
コペルニクスのように、自分たちのブログが広い宇宙の中の文体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちのブログが宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、文学のことばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることなのだ。こんにちは、大島雅己です。
エスパー魔美ではないので、他人の頭の中を読むことはできない。メンタリストだって、身体や動作に現れる微妙なサインを捕えているのであって、脳内に散在する情報をそのまま感知することは不可能である、だから、自分の要望を人に伝えたり、相手の考えを理解するためには言葉を介するしかない。
このとき、自分で自分の考えをどこまで正確に言葉にすることができるだろうか。100%というわけにはいくまい。不足や言い間違いもあるだろうから、よくても80%ぐらいではないか。それが相手に伝わる時、この伝送効率も100%ではないだろう。途中で零れ落ちるものが少しはあるに違いない。色をつけても90%ぐらいか。そして相手が受けたものをどこまで正確に理解するか。やはり100は無理だ。状況によって大幅にぶれそうだが、せいぜいのところやはり80%とする。
すると最終的な伝達割合は80%×90%×80%で、結果57.6%となる。こういう分析はどこかでちゃんとした研究がされていると思いますが、人間のコミュニケーションはだいだい6割ぐらいしか伝わらないんだと思っておいた方がよさそうです。説明したから全てわかってもらえたとか、ヒアリングしたから全て話してもらえた、とは考えない方がいいでしょう。IT現場で要件を決める時、とくに気をつけておくべきことです。
芸能や芸術の場合、作者の考えが受け手伝わる割合はどのぐらいなのでしょうか。ここはむしろ100%ではないからこそ受け手の自由な鑑賞が可能になるといえますね。ここは数値で分析するものではなさそうです。
<今日の本歌>
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』