第952回 アルゴンキン語族と高踏派

人の見ることや苦しきをみなへしITにのみたち隠るLAN。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

人前で芸術を披露する時の心構へとは一体どういふものであるべきか。絵画や文芸等のやうに時空を隔てるものであれ、芝居や音楽のやうにリアルタイム性を持つものであれ、そこには特定の精神とでもいふものがあるはずですが、思ふにこれは演者の状況によつて三段階ぐらいに分類できさうです。

最初は「己の力量を存分に誇示したい」といふもので、自分視点に立つたものです。売れるため、功名のため、成長のための当然の心意気と言つてよいかもしれません。

しかしこれがもつと進化すると、「相手に何を渡せるか」といふ視点に立つやうになるのではないか。自分ではなく見る人にとつての価値を第一に考へるのです。芸術は感動、知識、衝撃、着想、闘志、意欲、活力、美意識など、様々なものを観衆に持ち帰つてもらへるものであるべきだからです。

そしてさらにこれが高じると、観衆ではなく第三者を意識したものになるのではないかと想像されます。自分自身でもなく目の前にゐる相手でもなく、どこか知らない場所にある孤高の存在とでもいふもののために魂を込める行為、いはば神を意識したかのやうな、己が神になつたかのやうな視点。かうなると人気とか集客などの俗的な要素を完全に逸脱したものになるのでせう。

IT現場でサービスを提供する場合も、まず誰のためのものかを考へるべきであり、普通は「お客様のため」であるのが当たり前であるべきところ、さうなつてゐないケースはいくらでもありますし、「お客様」が誰を指すのかも合意できてゐない事例が目に余るのが現状です。

(A面へ)

<今日の本歌>
壬生忠岑『古今和歌集 巻第四 秋歌上235』

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