第124回 当て布とギルガメシュ叙事詩
ええな。ブログも塗り箸とおんなじで、塗り重ねたもんしか出てけえへんからな。こんにちは、大島雅己です。
唐突ですが、第63回で中途半端に終わった「設計書」の話のリヴェンジです。
昨今では、設計書というともはやプログラム設計書以外のものはあまり思い浮かびませんが、その観点では「制作する際の指示書となるものであり、それがどのように作られているかを汎用的に記述したもの」とでも言いましょうか。あとから第三者が見てもどこがどうなっているかがわかるものでなければなりませんので、本体に変更が加えられればその都度修正され、常に最新の状態であるべきです。
ここで気をつけたいのが「第三者が見てもわかる」ということと「常に最新である」という点です。なぜならIT現場ではこれがたいへん重要なのになかなか守られないからです(と、私は痛感しています)。
過去に作られたプログラムを見て、「一体なぜこんな作り方をしたのだろう」と悩んだことは一度や二度ではありません。つまり何が書いてあるかは理解できても、何故そうなっているかが納得できないのです。作った本人の頭の中は他者には読めません。そこまで伝わるような設計書を残してほしいのです。そして、頻繁に修正するようなシステムだと、設計書を逐一直すことが端折られがちです。スピード優先、コスト削減、という風潮のせいもあるし、最新情報を知りたければプログラムそのものを見ればいい、という考え方もあるでしょう。やがて設計書は意味を失い風化し、いざ大掛かりな改修が必要な時に事故が起こるでしょう。
音楽でいえば設計書は楽譜です。これが後世への伝承を可能とし、印刷技術の普及と相まって音楽史に革命を起こしたのです。
<今日の本歌>
藤本有紀「ちりとてちん」