第73回 ダブルファネルと仕方噺

あのね、バランスはいつでも取れるの。あしたでもあさってでも取れるの。今はブログをいかに早く書き上げるかが問題なの。こんにちは、大島雅己です。

昨日は日経新聞のセミナーに行ってきました。テーマはマーケティングで、森川亮氏の組織論や山本高史氏の広告論などを拝聴。
特に面白かったのは博報堂行動デザイン研究所・國田圭作氏の行動デザインの話でした。「モノ」と「利用者」の関係性を、「行動」で捉えるという考え方の話です。

通常、何かというと人の「意識」について気にしており、「行動」についてあえて考えることはありませんでした。人間にはまず「意識」があって、それに伴って「行動」が起こる、と漠然と考えていたからだと思います。これを逆の視点で捉え、「行動」によって「意識」が方向づけられる、と考える。

言われてみればそうでした。悲しいから泣くのか泣くから悲しいのか、という話ですね。討論で相手を攻撃するような意見を言っていると初めはそれほど感情が伴っていなかったのに、喋っているうちにどんどん怒りが増長するケースなど。
そういえばマイケルジャクソンが亡くなった時のマドンナの弔辞で、話している間ずっと手を後ろで組んでいた姿が印象的でした。身振り手振りによって感情が激化することを防ぐためあえて腕の動きを封じていたのでしたね。

やや論点がずれるかもしれませんが、まず動いてみることによって思考が定まっていくという経験は日常でもありますね。デザインやネーミングを考える時などまさに、頭の中だけでウンウン考えているよりとにかく手を動かして思いつきをどんどん書き出してみることによって思考が進みます。

芸術、芸能方面ではどうなのでしょうか。音楽理論を机上で勉強していてもなかなか覚えられないけれども、実際に演奏してみて失敗を繰り返していく方が覚えが早かったりしますが、これは別の話でしょうか?
一方で、やみくもに手を動かす前に頭の中でイメージトレーニングすることで効果的な習得ができるという話もありますね。この場合は意識が行動をコントロールしているということでしょうか。
どちらを主とするかを場合によって使い分けることがポイントですかね。もう少し考えてみます。

<今日の本歌>
東海林さだお「生ビールへの道」

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