第363回 冪等性とヒューリスティック
もし、ブロガーが私たちと同じ一市民だったとしたら。私たちと同じグータラだとしたら。バスにいる見知らぬ乗客の一人だったとしたら。行く場あてを求める一人の乗客。もし、こんにちは、大島雅己です。
生活や仕事の中で、緻密でキチッとしていることが求められる場面はいろいろあると思います。時報。量り売り。選挙の開票。精密機械の組み立て。外科手術。などなど。こういうものは、求める結果を得るために、数値的に正確でなければならず、妥協も許されず、曖昧な判断はNGで、白黒ハッキリさせなければなりませんね。
ITの世界でも、プログラムは一字一句正確に書かなければ正しく動かないし、MECEなどのロジカルシンキングが重要になってきます。
かたや一方では、人間の頭脳のようなアナロジカルな推論やファジィな判断も必要なことがあります。いや、どちらかといえば、すべてをカチッと決めようとするロジカルな考え方よりも、多少の誤差も受け入れる臨機応変さの方が重要なことが多くなっているのかもしれません。
何事も0か1かだけで判断できるわけではないのだから、0.1とか-1が来たらどうするか、幅広い受容力も併せ持っておきたいものです。
ドレミファソラシドの音階は厳密には周波数に合っていません。音程を均等割りしているので誤差が含まれています。しかしそのおかげでピアノもギターも楽器として成り立っており、音楽に無限の自由度が生まれているのですね。
<今日の本歌>
ジョーン・オズボーン『ワン・オブ・アス』