第87回 福男とネクロフィリア・エコノミクス

はじめてお会いしたあなたのために、飾りもつけずに贈るブログです。こんにちは、大島雅己です。

松岡正剛氏のイシス編集学校で受講しております句歌の講座、ふだんはネット上でのやり取りなのですが、昨日は直接一同に会して稽古を受ける「仄明書屋」というイベントがありました(いちいちこういうネーミングがまたシビれます)。
松岡校長の数万冊の蔵書が摩天楼のようにそびえる豪徳寺のイシス編集学校にて、お昼から夜遅くまでみっしりびっしりじっくり、吟行、歌会、連歌などを行うのです。

私はもともと詩歌だの俳句だのには全く不案内で、そこに鞭打つために入塾したのでしたが、やってみるとこんなに楽しい世界はないと思うようになりました。嗚呼もうウン10年早く出会っていれば。そして今回は稽古の楽しさもさることながら、初めて松岡校長や小池純代師範と直接お話ができたことも感動でした。
ちなみに校長とは落語の話をしたのですが、さすがに志ん生や文楽をリアルに味わっている校長、落語に対する審美眼も神レベルだと感じました。

稽古を受けての発見は数々ありますが、一番身に染みたのは、「言葉を選ぶ覚悟」とでもいいましょうか。一つの言葉を選ぶ時、選ばなかった無数の言葉があり、その言葉たちに対する責任というか贖罪のようなものを強く意識しました。なぜその言葉を選び、それ以外の無限の可能性を捨てたのか。その選択が本当に正しかったと言えるのか。

IT現場でもビジネスでも我々は日々、無数の選択をしています。中には習慣化されていたり暗黙のルールに従ったりして、無意識に行っている選択もあるのでは? その選択が本当に最善のものなのか?
そういったことをもう一段深く考えてみようと思います。

<今日の本歌>
海援隊「贈る言葉」

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