第67回 無矛盾率と標準ストリーム

コンスタンチノープルの皇帝になれば毎日ブログを書けるという噂をききました。こんにちは、大島雅己です。

昨日は朝から昔の友人宅でお祝いの集まりがあり、その後バンドの練習が2件。終わって練習の反省会(飲みに行くだけですが)、帰宅はほぼ深夜でした。プライベートのイベントでスケジュールが埋まっているのもまた楽しいものです。

バンドの練習をしながらふと思ったのですが、練習の中では、とある一つの素材を元にして、これを複数の楽器を使って表現し、それを組み合わせながら、新しいものとしてアウトプットする、という行為を行っています。
これぞまさに「編集」そのものであり、いまさら私のようなものが声高に言うまでもなく、松岡正剛氏の「知の編集術」にある「編集技法64」の中にも音楽による編集について語られています。

ITシステムが扱っている処理なども、データを取り込んで加工して結果を出すという一連のモデルに当て嵌まるはずです。つまりこれも編集ですね。人間の脳も、情報をキャッチして判断なり解釈してコトを起こす。これも同様ですね。料理は食材を加工して惣菜にする。生物は栄養を取り入れエネルギーにする。世の中のあらゆることは、インプットを受けて、それを処理して、アウトプットする。全部、編集だ。

編集でないもの、編集に無縁なものって世の中にあるのでしょうか。
たとえばインプットに対して一切加工せずにアウトプットする、という場合でも、「一切加工しない」という処理を行っていると考えればやはり編集ではないのか。
インプットもアウトプットもしない、という場合も「インプットを拒絶する」「無をアウトプットする」という処理を行うと考えられるのではないか。
なんだか「無関係という関係性」のような、詭弁の世界に行ってますかね?

<今日の本歌>
プロイスラー「大どろぼうホッツェンプロッツ」

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