第398回 岡田三右衛門とコンテキストアウェアネス
ITの終焉という理念は、宇宙における物事の自然的な思索からではなく、道徳的な思索において生まれるものである。こんにちは、大島雅己です。
「目は口ほどにものをいう」「以心伝心」「口は災いの元」「沈黙は金」「物言えばくちびる寒し秋の風」「一言多い」「忖度」「空気を読む」「行間を読む」「背中で語る」「口より手を動かせ」「不器用ですから」「男はだまってサッポロビール」「俺の目を見ろなんにもいうな」などなど、こういう言葉群を眺めていると、余計なことを喋るよりも口数少なくどっしり構えている方が好感をもたれるように思えますね。
しかしIT現場の長い経験の間には、失言によるしくじりよりも、言わなかったせいでトラブルになった経験の方がはるかに多いのです。
「こんなこと言わなくてもわかるだろう」「こんなことまで言う必要ないだろう」という時に限って、見事にそれが蟻の穴となって堤が崩れてしまうことが何度もありました。(あの時ひと言、指摘しておけば…)と後悔したものです。
さすがにこれは言わなくてもわかるよね、と思った時は、言っておいたほうがいい。人が自分と同じことを考えている、と思わない方がいいでしょう。
これを逆に利用しているのが芸術分野だと思います。落語も、俳句も、絵画も、写真も、余計な要素を省いて、観る者の想像を様々に膨らませる作用を持っていますよね。作者の意図をさぐることも楽しいですが、そこに囚われずに自由な連想に遊べることも芸術のすばらしいところですね。
<今日の本歌>
カント『万物の終焉』