第211回 ホロニック・システムと粗忽長屋

いやあ、今必要なのはピーターパンでもフランケンシュタインでもスーパーマンでもない、ブログを書きたくて仕方がないんです。こんにちは、大島雅己です。

何はともあれ、素直な心というものがやはり好ましいと感じます。いいなと思ったものは素直にいいなと受け入れる。感動を覚えたら素直にほめたたえる。悲しい時には思い切って泣く。困ったなと思ったら助けを求める。

さて、一方で、これは何度か書いていますが、物事を疑うことも大事だと思っているのです。うぬ、どっちなんだ。

矛盾しているようですが、自分の中ではブレているわけではないのです。
まずそこにあるものはそのまま受け取る。いったん受け取ります。そして率直に感じることは素直に受け入れる。
次に、これを客観的に見てみたらどうかを考える。本当にそうなのか?と疑ってみる。

いわゆる虫の目鳥の目のようなものでしょうか。段階的に見るのです。いや、段階というより、近づいたり離れたり、何度も交互に切り替えるのです。かわるがわる、です。これが近づきっぱなしとか離れっぱなしなのがよくないと思うのです。
そして、そもそもはベースが素直な心でないと、これを客観的に見ることはできないと思うのです。

音楽を演奏する時、フレーズごとに繰り返し練習しながらも、全体としての曲想や仕上がりもイメージしなければいけませんよね。これに似ていると思います。

<今日の本歌>
クイーン「バイスィクル・レース」

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