第209回 フォノセントリズムと瞋恚執心
もしあなたがリアルにこの話を聞きたいのだとしたら、最初に知りたいのは、ブログの背景や、ダメダメだった昔のブログなどの話かもしれません。でもそれは書く気にならない。こんにちは、大島雅己です。
頭の中にあることを外に吐き出すというのは想像以上に難しいものだ、と日々感じています。頭の中にある状態は、言葉になっているものもあればイメージの状態だったり、ぼんやりした感覚的なものであったりいろいろです。そして、それらは関連性をもったり持たなかったりするし、浮かんでは消えたりするし、縦に膨張し横に展開し、同じことが形を変えて現われたり、違うことが同じ言葉で現れたり、時間に沿って成長したり時間を遡って退行したり、具体化されたり抽象化されたり、集結したり分散したり、まあとにかくごちゃっとしているのです。それをアウトプットするということは、まずは言葉にして、関係性を持たせて、構造を取らせなければ、他人が理解できるものにはなりません。だからITだろうと何だろうと、言葉をどれだけ丁寧に磨き込むかが大事なのだと思うのです。
ちなみに音楽でいえば言葉とは音そのものだと思います。これがなければ始まらないし、音を適当に扱っている音楽など、聞く価値はありませんね。
<今日の本歌>
サリンジャー「ライ麦畑で捕まえて」