第1483回 全称命題と インテロバング
ほうれん草よく根の伸びたのを選び。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
「仮定の質問には答えられない」とは一体どういうことなのでしょうか。未来の出来事に対して「もしもこんなことが起ったらどうするか」と想像するのは意味のないことなのでしょうか。目の前の現実に対処することが優先なのであって実際に起こるかどうかわからないものを事前に考えても仕方がないのでしょうか。
あるいは、過去の出来事に対して「もしもあの時○○であったならどうなっていただろう」と振り返ってみるのは無駄なことなのでしょうか。将来を予測するには過去の実績を分析することが重要なはずですが、それもすべて無意味なことなのでしょうか。
たしかに「歴史にもしもはない」と言いますが、どうすればよい未来が拓けるかを考えることは自然なことであるはずで、そのためには過去を知り現在を理解し将来に向けて問いを投げていくしかないように思えます。仮定のQをすべて黙殺するとしたら、常に目の前にある現実に追われるだけだということになりますが、それでよいのでしょうか。
そういえばジミ・ヘンドリクスは、もし太陽が輝くのをやめても、もし山が海に沈んでも、もし6が9になても大丈夫だと歌っています。ここまで想定していれば世界がどうなっても生き残りそうです。
<今日の一唱>
Jimi Hendrix『If 6 was 9』