第1482回 トマソンとソフィスト的論駁
春深し街ゆく人の数かぞえ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
なにげなく、なんとなく、という状態をなるべく避けなければならない、と意識しています。なにげなく食事をする。なんとなくテレビを見る。なにげなく散歩をする。なんとなく本を選ぶ。こういう無目的的な行動は、実のある結果につながらない、いや、それだけならまだしも、本意でない結果を招く恐れもあるのではないか。
ぼんやりすることも大事だという意見もありましょう。「ぼんやりする」という目的を持った上でぼんやりとするのはよいのですが、本来は何かを考えるべきところをなにげなく判断をしたりなんとなく行動を起こしてしまうと、たいていあとで困ったことになるはずです。
自宅でじっとしたり一人で過ごす時間が増えたというので、かねてからやりたかったことをやってみるのはいいけれど、なんとなく流行っていることに手を出すような真似はすまい、と考えています。
そういえば、藤子・F・不二雄氏のSF短編で、「なんとなく」という曖昧さを許さずに追究してしまい恐るべき宇宙の真理を知ってしまう話がありました。ここまで行くと幸福なのか不幸なのか、なんとも言えません。
<今日の一唱>
藤子・F・不二雄『どことなくなんとなく』