第1386回 ノーモフィリアと救済史観

あかぎれを堪えて眠る冬の夜。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

「普通」の普という言葉が気になっております。「普段」の普であり、「普遍」の普であります。あまねく広く行き渡っていること、一般的に馴染んでいるイメージです。行き渡っている状態は「普及」であり、それが日常になれば「普段」となり、これを上から眺めれば普天であります。

一方でこの字は宗教的な言葉にもよく登場していて、虚無僧でおなじみの禅宗が「普化宗」であり(これは開祖した僧の名から)、釈迦如来の脇侍が「普賢菩薩」であり、黄檗宗の精進料理が「普茶料理」であり、道元が書いた仏法の著書が「普勧坐禅儀」です。

あまねく広まり馴染んでいるということは裏を返せば、特異な部分がなく、古めいて平凡でマンネリズムに陥っている状態でもあり、そうなれば新しいものを求めようとする流れが起こるものです。新陳代謝がなければ組織は衰退するでしょう。普は大事なものでありながら、甘んじてはならず、常に入れ替わることを必要としていることになります。

そういえば吉田拓郎さんも「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」と歌っていました。

(A面へ)

<今日の一唱>
吉田拓郎『イメージの詩』

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