第1286回 堪忍五両とリュクルゴス
鞄に詰め込む気配がしてる(沢田研二『勝手にしやがれ』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
詰め込み教育には「何も考えずに無理矢理押し込める」印象があります。短期間にとにかく大量の情報をインプットし、内容を考える余裕も与えずにただただ丸暗記するかのような。学校のテストや資格試験などを通過することだけに目的を置いてその後に何も残らないような勉強であれば意味が問われるのも道理ですが、それを言うならば、そもそも何のために勉強をするのかという根源的な問題があります。
試験に合格してさらにその先へ進む目標があるのならば詰め込んででも勉強する意義はあるでしょうし、一つでも多くの知識を得たい情熱は否定できない。だらだらとつまみ食いのような勉強法で学力が大いに伸びるとは思えないですし、現にゆとり教育の弊害も指摘されているようです。
重要なのは詰め込むかどうかではなく、その先のことをどこまで見据えているかでしょう。
<今日の一唱>
沢田研二『勝手にしやがれ』