第1196回 筒井筒とキャッスル・ドクトリン

幼馴染の観音様にゃ俺の心はお見通し(高倉健『唐獅子牡丹』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

「馴染む」とは「馴れ染む」ことだから、慣れて親しむわけですが、では「慣れる」はどういうことかと調べると、慣れて熟達するのも、犬猫がなついて「馴れる」のも、礼を欠いて「狎れる」のも、ぬかが充分に「熟れる」のも、すべて同源で、モノ同士が互いに何度も重なり合い響き合うことで充分に情報を交換し合い理解し合い一体化してゆくような状態なのでしょう。

さらに突き詰めると「均す」にも繋がり、「習う」も「ならわし」に行き付きます。

何かを理解したり習得したり熟達するためには、最終的には自分をその対象に慣らして馴れて均して習って、その関係性をならわしにまで持っていくことに他ならないのでしょう。

(A面へ)

<今日の一唱>
高倉健『唐獅子牡丹』

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