第960回 ゲリマンダーと触頭
私たちの望むものはITのための私ではなく私たちの望むものは私たちのためのITなのだ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。
気がつけばいろいろなものを取り違へてしまひがちな毎日です。目的と手段を履き違へる。本山と末端を転送する。主と従を逆転する。木乃伊取りが木乃伊になる。羹に懲りて膾を吹く。蛇に咬まれて朽ち縄に怖じる。
特に勘違いしやすいものは金銭かもしれません。金銭は何かと交換するためにあるわけで、交換機能を失つてしまへばほぼ意味はないはずです。つまり、交換したい何かのために金銭が必要となるのです。それなのについ、金銭そのものに絶対的な価値があつてそれをたくさん集めなければならないと思ひ込んでしまふ。ともすれば金銭を命の次に大事なものであるかのやうに考へてしまふことがある。
だから、何か達成したい目的があり、そのためにはこれだけのカネが必要だ、と考へるのは正しいのですが、何もないうちからカネが欲しいなあとかカネ儲けをしたいなあ等と思ふことはおかしいわけです。当たり前のことながら、時々勘違ひしさうになるので注意してゐます。
IT現場でもよくかういつた逆転現象を目にします。何のために、何を、どうやつてゐるのか、WhyとWhatとHowがごちゃ混ぜになつてしまふ状態を……。せめてこの3つは切り離せるやうにしておきたいものです。
<今日の本歌>
岡林信康『私たちの望むものは』