第894回 ピュロン主義とフレーム問題

猫ぢや猫ぢやとおしやますが、猫が猫がブログ書いて絞りの浴衣で来るものか。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

猫が服を着て靴を履いてやつて来るわけがないだらう、下戸が一升瓶抱へて酔ふわけがないだらう、かういつた考へ方は一見常識的に見えますが、実際は独断による思ひ込みでしかありません。所謂だらう運転です。そんなことが起こるわけがない、こんなふうになるはずがないと判断を下す前に、その論拠はどこにあるのかをよく自問すべきです。

世の中の森羅万象のうち、ひとりの人間が理解してゐる範囲などごくごく一部でせう。だとすれば、自分がこれまで見聞きしてきたことだけを頼りに物事を判断しても、ほとんどの場合は間違つてゐる可能性の方が大きいと言へるのではないか。それよりも、猫が服を着て来るかもしれない、もし来るとしたらどんな感じなのか、その時どうやつて反応するべきか、といふ方向に想像を膨らませる方が楽しさうです。

IT現場でも、「だらう」の判断ばかりに頼らず、かもしれない運転を利かせてあらゆる方向に仮説を働かせてゆくべきだと思つてゐます。

(A面へ)

<今日の本歌>
端唄『猫ぢや猫ぢや』

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