第889回 ミシシッピ・デルタと不可知論

夢のスマロかホンキュの街か、あゝブログの音にも血が騒ぐ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

ブルースといふのは音楽の一形式ではありますがそれ以前に音楽の概念の一つであると理解してゐます。12小節構成だとかスリーコード進行だとか形而下的な特徴は確かにあるのですが、その定義を備へていればこれ即ち全てブルースだとも思へませんし、逆にそこから逸脱してゐても明らかにブルースとしか言へないものもいくらでもあるのです。

言語化するのは難しいのですが、結局のところブルースかどうかの判断は、ブルースのスピリットを持つてゐるかどうかで決まるのです。もつと言へば腹にブルースが沁み着いてしまつてゐる人が演奏すればどんな曲でもブルースだと思つてゐます。だから忌野清志郎さんの歌はすべてブルースなのです。そこに12小節構成だの7thコードがどうのと形式的な蘊蓄などもはや無意味です。

IT現場でも、ものごとの定義や形式は重要ではありますが、そればかりに拘泥してゐると思はぬところで本質的なことを見過してしまつたりもつと大事なものを忘れてしまつたりする恐れがあると思ふのです。

(A面へ)

<今日の本歌>
ディック・ミネ『夜霧のブルース』

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