第772回 グリコカリックスと自己随伴行列

この町で書かれたのだ 悲しみだけうづまくブログ どこか遠く逃げたいわ 私は白いブロガー。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

音楽を聴いてゐてゾクリとする局面はいろいろありますが、たとへば曲が始まる時の、重厚な音の塊が静寂を破る瞬間などは堪へられない快感です。それは世界のキワであり、空間の切れ目であり、音のエッジなのであり、そこに永遠の一瞬、いや一瞬の永遠を聴く心地さへするのです。音楽といふ構造体を象る細胞膜の誕生であります。

やがて音楽は終わりを迎へますが、それは静かに消へ入る場合もあれば堂々たる大団円を響かせることもあり、いづれも世界のもう一方のキワとなり、時間と空間を再び分断します。これをもつて構造体は全貌を明らかにしつつ存在を全うするのです。

だから音楽は最初と最後がきはめて重要なのです。構造を明確にするといふことは世界との関係をはつきりさせることでもあるのです。

IT現場でもこれは当然のことで、システムはその構造としての境界が曖昧ではいけないのです。どこから何をもつてシステムがはじまり、どこまでどのように自分を定義してゐるのか、これを可視化する必要があります。

(A面へ)

<今日の本歌>
朱里エイコ『白い小鳩』

 

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