第275回 ロココ芸術と説経祭文

雨はふるふる、城ケ島の磯に、利休鼠の雨がふる、雨は真珠か夜明の霧か、それともブログの忍び泣き。こんにちは、大島雅己です。

いまさらですが、ネットの勢力というのは全くすさまじいものです。これほどまでにネットが蔓延するなんて少し前まで考えられなかった。ちょっと便利なツールだな、ぐらいの感覚でいたのがつい先日のことのようです。ネットで何かを買うなんてとんでもないことだったのに、今では何万円もする家具やら電化製品を平気でポチっとしている。

先日、うっかりスマホを持たずに外出し、最初はガクゼンとしてしまいました。電車の時刻表も調べられない、地図も見ることができない、友人と連絡もできない、スケジュールも見ることができない、次々と頭をよぎるピンチ。ウーンしかし待てよ、ちょっと前まで、スマホを持っていなかった時は、どうしていたんだっけ…と落ち着いて考えてみたら、時刻表は紙のものを持ち歩くか駅の時刻表を見ていたし、地図は前もって紙のものを確認していたのだし、友人との連絡は公衆電話で充分だったし、スケジュールも手帳を持ち歩いていたわけなのだ。

つまり手段が変わっただけなのだ。多少なりともスピードが変わったり携行性ができたりして便利を感じているけど、そんなに劇的というほどでもない。ITとは、だいたいそういうものだと思った方がよさそうなのですが、こうも世相が動いていくと悩むのも仕方ないかもしれませんね。

音楽も、様々なツールや技術が発達していて、誰でもどこでもいつでも曲が聴けるし、作曲や演奏だってお手軽になっていますよね。でも、ギター1本で、あるいは歌声だけで、人を惹きつけるアーティストも、たくさんいますよね。

<今日の本歌>
北原白秋『城ケ崎の雨』

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