第1591回 有向点族とラウンドアバウト

口中に痺れを残すソーダ水。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

子供の頃、黄色い信号機の意味が納得できませんでした。赤で止まり、青で進むのはわかる。しかしその間にある黄色は何のためにあるのか。「注意」というけれど、具体的に何をすればよいのか。信号があれば注意しなければならないのは元からわかっているのに、重ねて注意を喚起する必要があるのか、などと思ったものです。

今考えれば、車で走っていれば赤になる前にアクセルを緩めるなどの準備期間がなければ危険であると理解できるのと同時に、デジタルとアナログの問題に思いを馳せるのです。

ゼロとイチの2通りしかない世界で、その中間的な立場とか、だんだんとイチになっていく過程のようなものは表現できない。それどころかその概念すらないのです。

大人か子供か、蕎麦か饂飩か、犬か猫か、関東か関西か、分譲か賃貸か、都会か地方か、甘口か辛口か、このような二択しか持たない考え方には危険が伴うのです。

そういえば忌野清志郎氏は「夜から朝に変わるいつもの時間に世界はふと考え込んで朝日が出遅れた」と歌います。二つのものの間に何かが起こるんです。

(A面へ)

<今日の一唱>
忌野清志郎『JUMP』

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