第1503回 三善道とツァラトゥストラ
エアコンの温度に惑う薄暑なり。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
ふと「流」の字源が気になっていろいろと調べていたら、白川静先生の説が驚愕でした。作りの部分は「子」に頭髪が生えている状態をさかさまにしたものという。古代中国では氾濫などで子供が川に流されて死んでしまうことが多かったらしいのですが、そんなところからできた漢字だなんて、怨念が籠っているようで使うのに気がひけます。もっと他にいい素材はなかったのだろうか。
それはさておき、身の回りを見わたしてみればすべては流れの中にあります。時間も空間も構造も流れの中にあり、流れを生み出して変って行くものです。何がどこからどこへどのように流れていくのか、それを見極めることが世界を把握することに違いありません。
そういえばタモリ氏の『雨降り午後』という歌曲には「永劫回帰 生生流転 万物輪廻」とありました。ニーチェも仏教もインド哲学も、ある意味で流れを追求しようとしていたのでしょうか。
<今日の一唱>
タモリ『雨降り午後』