第1328回 ストリンジェンドと感情労働
みんなはテレビが歌う歌しか知らない(ラフィータフィー『誰も知らない』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
楽譜に沿ってピアノを弾くとき、その譜面の示す通りに左右の指を動かしていけばそれなりに曲が再現されるわけですが、この段階では「音が鳴っている」レベルであって、これを音楽として鑑賞に堪えるものにするためには相当の工夫や方法や意識が必要です。
曲の構成をどう形作っているか。どこまで音に幅や厚みや奥行きを与えているか。曲に対して自分の魂をどのように籠めているか。何よりも大事なことは奏者がその曲を通して何を表現したいのかという意識です。ただカッコをつけたいのか、表現したい絵を思い浮かべているのか、感情のほとばしりを託しているのか、何かのメッセージをふくませているのか。
少なくとも聴く人の精神や肉体に何らかの衝動を与えたいのであれば奏者自身がその衝動を体感した上で演奏しているはずです。
<今日の一唱>
ラフィータフィー『誰も知らない』