第1152回 王権神授説とダブリンコア
常識っていうやつとおさらばした時に自由という名の切符が手に入る(笠井紀美子『ハッピーじゃないか』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
常識で考えればわかるだろうとか、常識の範囲内でお願いしますなどと言われると、なるほどそれはそうだなと思う一方で、はてこの場合の常識とはどこの何を指しているのだろうと迷うことがあります。
「常識」「共通認識」「あたり前」「普通」「たいていの場合」「一般的に」などなど、こういう言葉が使われる時、同じ認識を持つ共同体のようなものへの帰属が前提になっていると思われますが、その実態は甚だ曖昧で朧で不安定であり、むしろ常識ほど信用できないものはないとさえ言える気がします。
あの人の常識はこの人の非常識かもしれず、その模糊模糊した状況を脱するためには、明確で具体的な言葉や図表でその定義を可視化するしかなく、それまでは安易に常識の輪の中に浸かった気になってはならないと思うのです。
<今日の一唱>
笠井紀美子『ハッピーじゃないか』