第752回 延喜式とエクリチュール

街のどこかに寂しがり屋が一人、今にも泣きさうにブログを書いてゐる。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

朗読会のイヴェントへ行つて参りました。かねてよりオラリティの重要性を強く意識してゐる身としては朗読の位置づけは気になるところですが、これを例へば、「テキスト」と「パフォーマンス」といふ2軸で整理してみませう。

朗読は演者がテキストを堂々と手にしてゐますが、これは芸能としては珍しく、強いて言へば音楽家が楽譜を見て演奏するのに近いかもしれません。

パフォーマンスは実際には行われず観客が脳内で想像するので、この点では落語に近い。中には表情や衣装や所作を大げさに表現する演者もゐて、さうなると演劇に近づきますが、テキストの問題がある限り一線を画してゐます。

では朗読とはあくまでもテキストを忠実に読み上げることに専心すべきなのかといふと、それもまた疑問です。

ものごとを規定の分野に当てはめて考へることは便利でもありますが、自由な見方を奪うものでもあります。今まで当たり前に存在してゐたはずのものも、見方によつて全く新しい一面が現れるかもしれません。

(A面へ)

<今日の本歌>
千賀かほる『真夜中のギター』

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