第591回 等ラウドネス曲線とカシミール効果

一念のブログ心を翻して法性の理を思はば、己心にブロガー身を見、己心にブログ土を見ん。こんにちは、大島雅己です。

音といふものは時間的に一方向に流れる。したがつて聴き手は一定時間拘束されてその流れに同期しなければならない。そして遡ることはない。音楽も落語もさうやつて相手の耳に届き、その後、音やリズムの像として記憶に残ることになる。

一方、映像は空間的に位置を占めて鑑賞者の視界に訴へる。内容が絵として伝はつて受け手の脳内にイメージが刻まれる。絵画や文学は紙などの上に目に見える形を取つて記録に残ることになる。

どちらも、同じ時空間を共有しない相手に伝達する場合には特別な手を講じる必要があるが、その手段を取り違へてしまふと伝はり方が不十分であつたり場合によつては不正な情報として伝はる恐れもあるから注意しなければならない。

音として伝へるべきものか絵として伝へるべきものか。耳に記憶してもらふべきなのか目に刻んでほしいものなのか。時間的方向性を伴ふのがよいのか空間的形状性に訴へるのがよいのか。それによつて方法を使ひ分けたいものです。

IT現場でもコミュニケーションは最重要なものの一つですが、それだけにトラブルも多発します。その原因の一つは手段を取り違へてゐることが大きいと感じます。伝へた側はうまくできたと思い込んでゐても伝へられた側はさうでもないといふケースが多いのです。

<今日の本歌>
源信『観心略要集』

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