第586回 吉志舞とコネクショニズム

かの趙州がいたならば、やりかたすっかり逆のはず。パソコン奪い去られては、ブロガーさえも命乞い。こんにちは、大島雅己です。

アルトサックスを吹くようになったきっかけは高校のブラスバンドです。いずれはジャズをやりたいと思っていたので、半分ダメ元でトランペットかサックスを希望したらたまたまアルトが空いていたのでした。もしあの時に別の楽器を担当していたら人生がどう変わっていただろうかと考えるといろいろと妄想が膨らみます。

ブラスバンドには様々なパートがあるので、メンバー間の楽器談義は楽しいものでしたが、なかには時々「自分の楽器はこんなにたいへんなのだ」という「難しアピール」をするやつがいて、これはいただけなかった。こんなふうに指を動かさないといけないんだ、とか、こんなに複雑な譜面を吹いてるのだ、などと自慢気に語る姿は見苦しいと感じました。

難しいことや辛いことにぶつかった時こそ黙ってさり気なくやりこなすべきであるというのが私の美学だったからですが、ここで言いたいのはそういうことではなく、人はどうしても自分の立場を中心にものを考えるということです。

IT現場でも、一つの課題を皆で考える時、営業担当と開発担当と企画担当では思考の拠り所が違いますし、同じ開発担当でもリーダーと現場担当で異なるでしょう。これをすべて見通してまとめられる管理者が必要なのです。

<今日の本歌>
『無門関』より『南泉斬猫』西村恵信訳

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