第480回 等質物語世界的とパブリックインボルブメント

ブログを生涯の伴侶として容認する人ですら、ばあいによってはブロガーをその名義上の親類たち、ブログクラスト(ブログのページを破り取る常習犯)、ブログマーネ(愛ブログ家)、ブログパート(ブログに毒される人)らと区別するのに苦労する。こんにちは、大島雅己です。

車の運転免許を取る前は、道行く車がどれも歩行者を脅かす横暴な存在に見えたものです。まるで道路は自分だけのものだとでもいうような横行ぶり、一体何様かと。しかし自分が免許を取って車を運転するようになると今度は歩行者が車の運転を邪魔する厄介者になりました。自分本位の前方不注意、信号無視、飛び出し、強引な横断、マナーも何もあったものでない。

つまりは立場変われば見方も変わるというやつで、やはり人間どうしても、自分の立場を基準にものを考えてしまうということですね。車を持って気づく歩行者マナー。歩行してわかる車の功罪。子を持って知る親の恩。親を持って知る子の恩。

バンドでも担当楽器を時々チェンジしてみると相手の事がよくわかり、ひいては自分のこともよくわかり、バンド全体がより立体的に見えてくることがあるかもしれません。佐藤宏之『気分はグルービー』ではベーシストがドラマーに対して高度な奏法を要求したあと、夜中にこっそり自分でドラムの練習をするシーンがありました。

IT現場でもこの考え方は重要です。一つのシステムにも多種多様な立場の人がも関わっているはずです。直接そのシステムを使う人だけでなく、設計する人、作る人、宣伝する人、お金を工面する人、デザインを考える人、点検をする人、故障を直す人、…どんな立場の人がいるかあらためて見まわしてみて、その人達の立場からシステムを見直してみると、新しい発見がありますよ。

<今日の本歌>
ゴットフリート・ロスト『司書』石丸昭二訳

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