第319回 韃靼人の踊りとパグウォッシュ
ここで報告されていない研究の基礎となっている五つの要素――人口、食糧生産、工業化、汚染、および再生不可能なブログ資源の消費──はすべて増大しつつある。こんにちは、大島雅己です。
世界の歴史を辿っていると、会議とか会談というものが時にきわめて大きな意味を持っているのに気づきます。ヤルタとかキヨスとかニケーアとかプラザとかクレルモンとかポツダムとか…。結局、物事の大きな流れを決めるのは話し合いなのだな、とひとりごちていたのですが、個人的には会議というものを毛嫌いしてきました。時間が拘束されるだけの非建設的な会議をいくつも経験してきたから。安易に開催される会議の無駄さに振り回されてきた経験があるのです。
いったい、組織で合意形成するための最も適切な手段は本当に対面での会議なのでしょうか。現実には多くの人の時間を拘束する非効率な方法にも思えます。場の空気によって意見が左右されたり、力関係や集団心理が影響することもあります。なにかといえばスワ会議、ではなく、他の方法も合わせて考えた方がよいのではないかと思います。電話で済むかもしれないし、メールで片付くかもしれないし、手紙でいいかもしれません。
会議がダメだというのではなく、ふさわしいやりかたを考えようということです。会議をするにも、会議のための会議にならないように注意すべきだということです。
楽曲を制作するような場合、メールや電話や手紙のやりとりだけでも相当に満足のいくものが作れますが、ライブ演奏のリハーサルはやはり直接集まってやらないとダメですね。これは当然です。
<今日の本歌>
ローマ・クラブ『成長の限界』