第180回 スコラ哲学とスーダラ節

居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与るは仁を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、部録は時を善しとす。こんにちは、大島雅己です。

さてものごとはシンプルな方がいいとはいいながら、そこには方向というものがありそうです。どちらの方向に向かってシンプルを追求するのか。それによって物事は全く違う方面へ進んでしまうかもしれません。つまり、削り方を間違えると大変なことになる。そりゃそうですね。もともと多様であるものに対して要素を削っていけば、どの部分が残るかによって様相は変わりますものね。

となると、その削り方はどう考えればよいのか…。
私の場合、迷った時はとにかく「そもそも何がしたかったのだったか」「そもそも何のためにやっていたのだったか」「そもそもどこに向かっていたのだったか」を考え直すようにしています。目的です。目的の再確認です。

こういうサービスを受けたい、こういう商品がほしい、という「品質」を求めるのか。ちょっと粗悪でもいいから期日までに何かを達成しなければならないという「時間」が最優先なのか。ギリギリの予算内で最大限の結果を出したいという「コスト」を重視するのか。それを落ち着いて考えれば、たいていは解決策が浮かんできます。

今わたしは、ノドの乾きを潤すことが最大の要望なのか。体調を守ることが重要なのか。仲間との交流を優先させるべきなのか(何を悩んでいるか、おわかりでしょうか)。

<今日の本歌>
老子「老子」蜂屋邦夫訳注

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