第104回 ミルトン・エリクソンと憲法22条の歌

Fは口から知を吐いた。Mは盲腸炎で見得を切つた。Hはブログを書いた痕から丹毒に浸入された。こんにちは、大島雅己です。

コンティンジェンシーという言葉は「偶発性」「不確実性」「不測事態」などと訳されますが、「ピッチリ決まっていないこと」「何が起こるかわからない状況」「いろいろな可能性を持つ状態」という感じでしょうか。経営管理論では「状況に応じて方法を変える」という文脈で使うようなので、「臨機応変」というイメージですね。

IT現場では「コンティンジェンシープラン」というのが日常的に語られます。特に新しいシステムができあがって最初に動き出す時、うまくいかなかったらどうするか、という対応策を事前に準備しておくという意味で使うもので、規模の大きなシステムであれば必ず用意すべきです。システムの周辺には想定外の出来事がとても多いのです。

ものごとは一辺倒に進むことの方が珍しく、決まった通りに運ぶものと思っていると痛い目に合うことがあります。もしここであれがそうなったらどうなるか、といった可能性を常に意識しておきたいものです。最悪の場合、そのITシステムが突然ダウンしても、別の手段でリカバリーできるようになっているか。システムが使えなかったら何もできない、というのではなく、命綱が考えられているか。

最近、和歌や俳句(のマネゴト)に取り組むようになって、「何かを選ぶということはそれ以外の無限のパターンを捨てるということだ」と実感しています。言葉や音楽で何かを作る時、一度表現したものは取り消せませんが、それもふまえた上でのコンティンジェンシー対策された表現方法などというものはないでしょうかね。

<今日の本歌>
横光利一「盲腸」

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