第1283回 エクセプションと社会契約説

鳥のように自由なこと、それは2番目にあるべきもの(ビートルズ「フリー・アズ・ア・バード」)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

自由ばかりでは統率が取れない。統制を強めれば自由が奪われる。などと言っていては自由と統制のデッドヒートになるだけであって、誰が望んだものでもないだろうし、たとえ決着を見たとしてもしこりが残る悲しい結末にしかなりそうにありません。統率とは不自由と同義ではないし、自由とは無政府状態とイコールでもないはずなのです。

つまり統率の上に成り立つ自由があってしかるべきだし、自由を擁護するためのルールがなくてはならないし、互いに尊重し合い補足し合い止揚し合うものであるのが理想です。

統率の取れた世界であるために何をどう自由にすればよいのか。自由が保障された社会であるためにどこにどう統制をかけるべきなのか。それを考え合うのがあるべき状態だと思うばかりです。

(A面へ)

<今日の一唱>
ビートルズ「フリー・アズ・ア・バード」

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